ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:話題 > クリスマス

今日はクリスマスの日ですね。クリスマスの日と言えば、やはり子供の頃にもらったサンタクロースのクリスマスプレゼントがやはり一番思い出に残っています。




寒い朝の日、起きてみると枕元にはプレゼントが、文房具やおもちゃだったけど。嬉しかったな。


サンタクロースが持って来てくれたと言うだけで子供にとっては最高でした。


みんな今日はどんなクリスマスを過ごすのでしょうか?


サンタクロースのプレゼントで感動した話しがありました。




サンタさんのプレゼント


あるお母さんより


6歳の娘の手紙を覗いてみたら、こう書いてあったそうです。

 

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

 

夫と顔を見合わせて苦笑い。

 

娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておきました。

 

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

 

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って

 

「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」

っていって、夫に薬を飲ませた。

 

夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、

 

「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」

 

夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして泣き始めた。

 

私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。


その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、


夫が


「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」


と言ったので、


つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。


なんだか泣ける話しでした。クリスマスの日、いろんな人生があるのだなと思いました。


ああ、人間、健康で家族と過ごせることか一番幸せなんですね。

 


今日はクリスマスイブ。もうクリスマスイブになってしまった。ほんと時間の経過は早いものです。




みんなも良く知っているように、クリスマス・イヴは、クリスマスの前夜、すなわち12 24日の夜を指す英語の音訳である。「イヴ」」は「evening」と同義の古語「 even」の語末音が消失したものです。


日本の街々にはクリスマスのイルミネーションや飾りつけで溢れています。


日本でいつからクリスマスが盛んに行われるようになったのでしょうか。


朝日新聞創刊の年、1879(明治12 )年の124


25日は耶蘇(やそ)の大祭日なので信者を川口天主堂に集めて行事をする」。クリスマス(耶蘇の大祭日)を報じた最も古い記事。


1892(明治25)年、東京の菓子店壺屋が「クリスマスお菓子」と銘打ってボンボン、フロンケーキなどの広告を載せた。ここに「クリスマス」という言葉が現れました。


記事に「クリスマス」が出るのは1899(明治32 )年。「今日はキリスト降誕の祝祭日基督萬壽(クリスマス)だが……」(12 25日付)。


記事はクリスマスツリーのことを「クリスマス吊」と書いています。


東京・銀座のクリスマス飾りは明治屋が始まりといわれる。日露戦争の最中でもその飾りはきらびやかでした。


「キリンビール明治屋では例年の通り一昨日の15日からクリスマス飾りをして ……ものすごくきらびやかで、店に入った人は欧米に来たような気がするにちがいない」(1904〈明治 37〉年1217 日付)。


大正になると、飾り付けをしたり、プレゼントを贈ったりするクリスマスが年末行事として根付く。


1915(大正4)年 1220日付の記事は「お歳暮はもうありきたり クリスマスプレゼントの方が新しいと喜ばれている」と書いた。


関東大震災直後の1923(大正12 )年12月には「中程度以下だが 飛ぶ様に売れるクリスマスの贈り物 震災もけろりと忘れて」という見出しで「歳末の行事クリスマスが近づいて、大通りの多くの店ではクリスマスデコレーションに忙しくなつた」( 21日付夕刊)という記事がある。


なんだか日本では明治時代の頃よりクリスマスの行事が受け入れられてきたようです。




昨夜はドリカムのコンサートに行ってました。ドリカムの中にもクリスマスの歌があります。


♫クリスマスが 急にきらいになる


♫あなたはすでに誰かのもので

♫ふざけるか他愛ない電話以外は

♫思い出も増えていかない 増えるはずもない


あれ、あれ、なかにはきゅうにクリスマスが嫌いになる人もいるようです。


でも、まあそれもよし。


160年以上も続く日本の伝統行事になったクリスマス、家庭で過ごすもよし、外でみんなとともにパーティーするもよし、多いに楽しみたいものですね。

日本では明治時代に既にサンタクロースは知られていて日本版サンタクロース物語が作られていた。




戦後、アメリカから入ってきたサンタクロースだけではなく昔から伝えられてきたサンタクロース物語


横田順弥氏の『明治不可思議堂』(ちくま文庫)明治31


『さんたくろう』物語


吹雪の夜。8歳になる少年峰一のもとに、飼い犬が見たこともない帽子をくわえて帰ってきた。


犬はなお、峰一少年の袖をくわえて外に引っ張ろうとする。


連れられるままに峰一が吹雪のなかを歩むと、なんとそこには行き倒れの男がいた。


家に保護した男が目を覚ますと、峰一の父は、これは神のおぼしめしだといい、男にもキリスト教徒になるよう諭した(峰一の家族はみなクリスチャンなのであった)。


数日後、男は自分の村へと帰ってゆく。

そうこうして翌年の春、峰一の父親が倒れた。


容態は悪かったが、峰一が熱心に神へ祈りを捧げると、ようやく父親も回復した。


けれど好事魔多し、父親は半年以上も床にふせっていたので、収入はなく家には蓄えもない。


孝行息子にクリスマス・プレゼントも買ってやれない。


そんなクリスマス・イブの夜。


プレゼントがもらえないと知った峰一はガッカリして寝てしまったが、そこに深夜の来訪者があった。


あの、行き倒れていた男だった。


彼はクリスチャンになっていた。


村の仲間を引き連れ、たくさんの贈り物をもって彼は恩返しにきたのだ。


目を覚ました峰一が枕元を見ると、たくさんのプレゼントが置いてあり、一枚の紙があった。


よく神様の教へを守り、阿父さんを助けて旅人を命を助けたり、誠に熱心な子でありますから、此の贈物を上げます。


ホクコク オヤヂ サンタクロウ

北国の老爺 三太九郎






なんていい話しなんだろうか。サンタクロースは日本的な恩返しの心暖まる物語となっていたのです。

もう少しでクリスマス。クリスマスと言えばサンタクロース。






僕たちがサンタクロースと言って思い出すのは


大きな身体に真っ赤な衣装をまとい、白いあごひげをたくわえた陽気なサンタクロースのおじさん


こんなイメージではないでしょうか。



サンタクロースって最初からこんな姿だったのでしょうか。


サンタクロースの姿は明確には定まっていなかったようです。

 

サンタクロースは、4世紀ごろトルコに実在した守護聖人、聖ニコラスの伝説にもとづいた伝説上の人物です。


西洋ではクリスマスには欠かせないキャラクターとして広く知られていたものの、共通のイメージはなく、その姿は、愉快な老人の小人や妖精、恐ろしげな子鬼まで、さまざまに描かれていたんです。


では日本人のイメージするサンタクロースとは?




僕たちのイメージするサンタクロースは実はコカコーラのキャラクターに描かれたサンタクロースなんです。


コカ・コーラの広告に登場したのは、1931年( 昭和6 ) 米国の雑誌「サタデー・イブニング・ポスト」の広告が、初のお披露目となりました。


コカ・コーラ社のクリスマスキャンペーンのために、画家ハッドン・サンドブロムが描いたサンタクロースは、赤い服に白いあごひげをたくわえ、見るからに陽気で楽しいサンタロース。


1931年から1964年までの間、コカ・コーラのためにサンドブロムが描いたサンタクロースの作品は 40点以上にのぼります。


このサンタクロースが僕たちがイメージしているサンタクロースなんです。






終戦後、アメリカに負けた日本にはアメリカの物資とともに文化が入ってきました。


日本人はコカコーラの黒い液体に驚き、爽やかな味に感動します。


コカコーラ社は日本でのコカコーラの大量消費のためにクリスマスのCMキャンペーンを盛んに繰り返しました。


その中にはサンドブロムの描いたサンタクロースの姿が必ず入っていました。


サンタクロースの人間味あふれる表情やしぐさは、たちまち日本人の心をとらえました。


コカ・コーラが日本の人に愛される飲みものになるとともに、サンタクロースを使った広告もに広がり、サンドブロムの描いたサンタクロースは、クリスマスのシンボルとして、また人気のあるサンタクロース像として日本で親しまれるようになったのです。


そうして、コカコーラのCMキャンペーンに描かれたサンタクロースこそが本当のサンタクロースだと日本人の誰もが思うようになったのです。


恋するも思い込みから始まります。


ああ、でも、サンタクロースの太っちょキャラっていいですよね。優しそう。日本人みんな大好きです。


クリスマスはコカコーラを飲んで「 逃げ恥 」恋ダンスを踊って、みんなで素敵なクリスマスを楽しみましょう。




1568年(永禄16年)には、堺で戦をしていた織田信長と松永久秀に対し、両陣営にキリシタンがいることを知ったイエズス会士のルイスフロイスの呼びかけによって、「クリスマス休戦」が行われた。






ルイス・フロイスはこう記している。


「足利義昭を奉じて上洛した織田信長と京の実権を握っていた松永久秀がクリスマスの日に一時休戦」


戦国時代にクリスマス休戦が行われていた。クリスマス休戦を行なったのが『織田信長』と『松永久秀』であった。


クリスマス休戦は信仰心から行われたものではなかった。二人はキリシタンではない。


松永久秀においては、クリスマス休戦の前年に宣教師を追い出したという記録も残っている。


一気に上洛を果たし体力に限界が来ていた織田軍。


今までの勢力を取りまとめなければならない松永久秀。


両軍疲弊の最中であり、休戦をしたかった。政治的な要素が強かったクリスマス休戦ではあったが、両軍が一時の休息を得たのである。


堺の貿易商の邸宅に両陣営の武士およそ70人が集まり、ミサをした後、互いに持ち寄った料理を食べながらクリスマスを祝ったそうです。






日本より遅れること、346年後。1914 1225日、第一次世界大戦が始まってから最初のクリスマス。西部戦線では、鉄条網を挟んでイギリス軍とドイツ軍が対峙していた。


この日、ドイツ軍の最前線から「きよしこの夜」の調べが流れ、兵士たちがクリスマス・ツリーにキャンドルを灯した。すると対峙していた敵軍も自発的に停戦命令を出し、昨日まで敵同士戦っていた両軍が、中間地帯の真ん中で顔を合わせた。


互いに手を握り、死者を埋葬して、チョコレート菓子や酒、タバコなど配給品や贈り物の交換さえ行われたという。


これが世に言う「クリスマス休戦」である。




2016年現代になっても世界のどこかで戦争は続いています。どうして人間は争いごとが好きなんでしょう。


クリスマスの日ぐらいは世界は戦争のない静かな一日にならないのでしょうか。






メリー・クリスマス そして ハッピー・ニュー・イヤー

何の心配もいらない、良い年になることを祈ろう


戦争は終わる

みんなが望めば

戦争は終わる

今すぐ!


ハッピー・クリスマス


 WAR IS OVER " IF YOU WANT IT" Merry Christmas from John and Yoko





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