ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:わろてんか > 万丈目吉蔵

NHKの連続テレビ小説『わろてんか』北村隼也(成田凌)がお目付け役の万丈目(藤井隆)からある特訓を受けます。


『わろてんか』第123話では、隼也(成田凌)が万丈目(藤井隆)からある特訓を受ける


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180226-00010006-realsound-ent


藤井隆の演じる万丈目の史実モデルは秋田實です。


ドラマでは藤井隆が演じているせいか、なんだか性格が軽そうです。


実際の秋田実は東京帝国大学を卒業したインテリで、戦前から戦後にかけて漫才作家として活躍し、「上方漫才の父」と呼ばれる人物です。

 

彼は帝大時代から左翼系の小説を書いたり、出版社で編集をしていました。


なんだか実際の秋田實と万丈目では相当違ってるみたいです。

 

吉本興業部に入社したのは、昭和9年(1934年)のことです。


彼は普通の漫才作家だけではなく痛烈な社会批判もしていました。


秋田實の社会風刺はセンター試験の問題として出題されています。


■  2007年度 センター試験【日本史A】問題


第6問 近現代の娯楽と政治に関する次の文章A・Bを読み,下の問い(問1~5)に答えよ。(配点 14


A 漫才作者の秋田実(あきたみのる)は1905年,大阪に生まれた。高等学校・帝国大学時代は社会主義運動にかかわり,プロレタリア文学関係の雑誌【ア】の編集を手伝ったりした。1934年,『婦人公論』に発表した「モダン万歳(まんざい) 恋愛禁止法」では,若者の恋愛熱だけは医者がいくら考えても治せないので,恋愛を禁止する法律を「思案医師法(しあんいしほう)」と名付けた。(a)これは9年前に制定された社会運動を取り締まる法律を風刺したものである。


 秋田は,横山エンタツ・花菱(はなびし)アチャコの人気漫才師コンビと出会い,戦中から戦後にかけて活躍した。


問1 空欄【ア】に入る語句として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。


(1)  白樺    (2)    戦旗      (3) アララギ  (4)  文学界


問2 下線部(a)の法律について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。


(1) 田中義一内閣の下ではじめて成立した。

(2) 基地反対闘争を取り締まるために制定された。

(3) 民主化をめざしたアメリカによる対日占領後も廃止されず,引き続いて効力を持った。

(4)  「国体」の変革と私有財産制度の否認を目的とする運動の取締を意図して制定された。


B 文化人たちは独自の視点で(b)戦時期の社会を振り返り,戦争責任問題のあり方をさまざまに表現した。当時の国民の姿を風刺した次の漫画は,その一例である。


https://msp.c.yimg.jp/puffer?x=320&y=418&q=RjwhRcUXyLGJ7dEbq13bCyWrC7cVQE_lZ1OS4PkXaSo1.A5ip3XYKh8ex1cb1NTsi9kyollvhJRkDDquLQFTq_iwtJ0SjTC1hOGlp_AC.vptYsb4m0s6.PI-

(麻生豊「こいつが悪かったんだ!」『新漫画』1946115日)


 「戦争犯罪人」の処罰は,1945年7月,日本の無条件降伏を勧告した【イ】にも記されていた。一方,この漫画に描かれたように,戦争責任の問題はあいまいであった。しかし,この漫画の背景となる1945年暮れから1946年初めは,(c)占領軍によって,戦争犯罪容疑者の逮捕や,戦時期の活動を問う施策がなされ,それはやがて文化人にもおよんでいった。


問3 空欄【イ】に入る語句として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【34

(1)  シャウプ勧告   (2)  ポッダム宣言

(3)  カイロ宣言      (4)      人権司令


問4 下線部(b)に関連して,満州事変以降の社会について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。


(1)  新聞紙条例が制定され,言論が弾圧された。

(2) 知識人が人民戦線事件で弾圧された。

(3) 国民精神総動員運動が行われた。

(4)  大政翼賛会が結成された。


問5 下線部(c)に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。


X 戦時期には日本文学報国会が組織された。


Y GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は,政財界や言論界などの指導者を対象として公職追放を指令した。


(1) X 正 Y 正   (2) X 正 Y 誤

(3) X 誤 Y 正   (4) X 誤 Y 誤


回答


問1 正答は(2) 戦旗


『白樺』は人道主義、『戦旗』はプロレタリア文学、『アララギ』は短歌、『文学界』はロマン主義関係を代表する雑誌である。


問2 正答は(4) 治安維持法


1934年の9年前に制定された社会運動の弾圧立法とあることから、1925年に制定された治安維持法の問題です。


3 正答は(2) ポツダム宣言


日本の無条件降伏を勧告したと表記されていることから、自然とポツダム宣言が想起されなければならない。


問4正答は(1)


新聞紙条例は明治時代に発令された自由民権運動を弾圧するための法律である。


問5 正答は(1)


日本文学報国会は1942年5月、大政翼賛会・内閣情報局の指導でつくられた文学者の戦争協力組織で、会長には徳富蘇峰が就任。公職追放令は、のちに195052年にかけて、軍国主義者や国家主義者らの公職追放の解除がおこなわれた。


平和な時代から戦争の時代へ


NHK連続ドラマ「わろてんか」では昭和9年はまだ平和な時代でした。


吉本興業ではマーカス・ショウを招聘しています。


万丈目のモデル、秋田實が吉本興業に入社しています。


『婦人公論』に「モダン万歳恋愛禁止法」を発表し、恋愛はだけは誰も取締れないと治安維持法を批判しています。


あなたの明日があるなんて錯覚です。


これ以後、日本は戦争へとまっしぐらに進んでいきます。


世界史を見ると人類の歴史は戦争の歴史だとわかりました。


人類の未来は明るいと言われますが、どこが明るいのでしょうか?


人類の戦争の歴史はどんどん過激になっているだけではないですか。


アメリカ大統領


ジョン・F・ケネディは次のように語りました。


人類は戦争に終止符を打たなければならない。


さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。


Mankind must put an end to war, or war will put an end to mankind.


君ね明日があるなんて錯覚です。


戦争に終止符を打たない限り、いつかあなたの前の明日がなくなります。


NHK連続ドラマ「わろてんか」のドラマで脇役として気になっている存在に万丈目吉蔵(藤井隆)がいます。


藤井隆は吉本興業の芸人ですがダンスも演技もうまい。


見た目は結構チャランポランでオカマキャラに見えるのだが誠実で真面目だとか


吉本興業の「挨拶のスペシャリスト」と言う称号まであります。


藤井隆はスペシャリスト、吉本大御所が大事にする基本は挨拶

https://dot.asahi.com/dot/2017080900015.html


人は見かけによらないものですね。


朝ドラ「わろてんか」に登場する万丈目吉蔵(藤井隆)の実在のモデルは、「漫才の父」と言われる秋田實です。


今日は秋田實のことを書いてみます。


秋田實


漫才作家の秋田實さんは1905年(明治38年)、軍需工場に勤める男性の次男として生まれた。


東京帝国大(現・東京大)在学中から掛け合い形式でユーモアを交えた読み物を書き、次第に雑誌に掲載されるようになった。


転機は31年、26歳で訪れる。


漫才師、横山エンタツさんとの出会いだった。「女性や子供も安心して楽しめる笑いを」。


エンタツさんと意気投合する。


2人で作り上げたのは、日常で起きる笑いを、コンビの話芸だけで進める漫才だった。


「僕ネ、実はネ、もらったんです!」


「エッ、もらった? 本当かい、そりゃアよかった」


「あまり親戚の者がやかましく言うものやから、とうとうもらいました」


「そりゃ結構や、よかった、僕も心からうれしい。しかし君、一体何をもらったんや?」


「エーッ。男がもらったと言えば、たいてい分かるやないか」


「かまぼこですか?」


「あきれた男やな。僕は家内をもらったんやないか」


「エーッ、家内を? 何人?」


「何人? 家内を7人も8人ももらってどうする。1人やないか」


「しゃべくり漫才」と呼ばれる、今の漫才の原形はこうして生まれた。


見事にボケとツッコミの入った漫才ネタである。


これが秋田とエンタツのだれでも共感の持てる「無邪気な話」なのである。


これ以降、秋田實は漫才作家となる。


その後、秋田はエンタツ・アチャコ以外の漫才師たちにも台本のヒントを提供し慕われるようになって行く。 


1934年( 昭和9 )東京の下宿を引き払って大阪に移り吉本興業に入社。


1941年( 昭和16 )新興キネマに移り、同社の総合企画部長および文藝部長に就任。


第二次大戦も終わりに近づくと、多くの漫才師が疎開しあちこちにバラバラになり劇場や寄席も空襲に合い、吉本興業も新興演芸も漫才の興業から手を引いてしまって、上方の漫才興業は壊滅状態となります。


戦後、京都に戻った秋田は、漫才の将来を危惧して若手の漫才師を集め1948年( 昭和23年)に「MZ研究会」という漫才のサークル集団を結成し京都で正式に旗揚げ。


そこからはミヤコ蝶々・南都雄二、夢路いとし・喜味こいしや秋田Aスケ・Bスケ、ミスワカサ・島ひろしはなど多くの漫才を育てた。


阪急電鉄創業者の小林一三と軽演劇集団「宝塚新芸座」を1950年( 昭和25 )に立ち上げ、「宝塚歌劇団」の生徒を含めて宝塚新芸劇場にて定期公演を行う。


しかし、本人は漫才師は漫才を中心にするものという信念をもっており、それ故、新芸座側が次第に演劇に傾倒しこれを中心に据えた事で「ゆくゆくは『モダン寄席』を立ち上げる」といった小林との口約束は反故にされた事になり、結局小林と対立する。


独立して芸能事務所「上方演芸」(のちの松竹芸能)を発足させた。


その後1968年( 昭和43 )、新芸座時代に演出を担当していた藤井康民と共に、大阪・阿倍野の岸本ビル資本によるケーエープロダクションを設立。


また1975年( 昭和50年)からは有川寛と共に若手漫才師・漫才作家による勉強会「笑の会」を作った。


そこからオール阪神・巨人、B&B、浮世亭ジョージ・ケンジ、太平サブロー・シロー、宮川大助・花子、ザ・ぼんち等の多くの売れっ子を輩出し漫才ブームとなった。


1977年( 昭和52 )1027日、大腸癌の為、死去。


享年72歳。


秋田實は日本のお笑いを作り上げた人まさに「漫才の父」なのです。


追記


秋田實の趣味は競馬と麻雀でした。


通夜で参列した芸人が集まって夜明けまで麻雀が行われた。


没後生家の近くにあった玉造稲荷神社には弟子・関係者らで「秋田實笑魂碑」と横には自然石が建てられた。


「笑魂碑」の方には「笑いを大切に。怒ってよくなるものは猫の背中の曲線だけ」の言葉と横の自然石には「渡り来て うき世の橋を 眺むれば さても危うく 過ぎしものかな」という辞世の句が刻まれています。

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