『あさが来た』NHK連続ドラマに平塚明( 大島優子 )こと平塚らいてうが登場した。
なぜ、『あさが来た』NHK連続ドラマに平塚らいてうなのか?
主人公あさと性格も育った環境も違うし、史実も広岡浅子と平塚らいてうが直接話しをしたと言うこともないようなのだが…。
平塚らいては裕福な家庭に育ち日本女子大学に学んでいながら心中未遂事件を起こしたかと思うと女性雑誌『青踏』を発刊してみたりとスキャンダラスな女性にみえます。
平塚らいてうただのスキャンダラスなだけの女性ではないのです。
心中未遂事件?
愛する二人が家族に反対されたて心中を試みたと思うのが普通なのですが、どうもそう言うことでは全くないようです。
★平塚らいてうはどんな女性なのか?
平塚明( 平塚らいてう )は1908年(明治41年)に森田草平と、栃木県塩原で心中未遂事件を起こします。
3月21日、雪のある塩原温泉を目指して汽車に乗ります。明子は出発前に遺書を書き残しています。
「われは決して恋のため人のために死するものに非(あら)ず、自己を貫かんがためなり、自己の体系(システム)を全うせむためなり、孤独の旅路なり」
書いてありました。
22歳になった明と27歳になった森田。
森田は愛のための心中を覚悟したけれど、明にとっては、命を賭けた自我完結の実験に過ぎず、ふたりが統合することはありませんでした。
ふたりがこれから死のうというのに、この世での最後の肉体的な結合もなく、あくまで知的に振る舞う明の魔的なまでに肥大した精神のまえで、彼はおもいを遂げることもできなかったのです。
そしてふたりが塩原温泉に宿をとった3月22日、雪が降って寒い夕方でしたが、森田は明のからだを求めますが、彼女はふたたび拒絶します。
翌日、塩原湯本まで車でいき、そこから会津方面の向かって雪の山道を歩きます。夕暮れがせまり、森田は、明を抱き寄せ、懇願するようにいいます。
「私への愛のために死ぬ、そういってください」
明はこれにはこたえず、もとより明は、自分以外の人のために死ぬことはできない、そのように、深くこころに決めていました。
森田は気づきます。
明は自分の死の劇化を望んでいるにすぎないのだと。
死への漠然としたあこがれを、より確かなものにするために、自分を道連れにしているに過ぎない。
森田は、明子が持ち歩いている黒革の懐剣を取り出すと、彼は谷間にぽーんと投げ捨てます。
「私は生きる。私はもう自分じゃ死なない。あなたも殺さない」
といって、明の瞳を見つめます。
彼の懐にはピストルがありましたが、それを使う気にはなれませんでした。
夜になり、ふたりは抱き合って雪の上で眠ります。
翌日、ふたりが宿にもどると、ふたりの共通の友人生田長江がきていました。
明が何通か、手紙を出していたので、心配してやってきたのです。
その日、宿を引き払って長江とともに東京へ舞い戻った森田は、師である夏目漱石の家で居候として過ごすことになります。
森田は事件の顛末を語りはじめます。
彼の話によれば、ふたりが恋愛以上のものを求め、人格と人格の接触による、霊と霊の結合を期待していたのだといいます。
なんだか、ロマンチックな話をします。
漱石はいいます。
「ばかなことをいうものではない。男と女が人格の接触によって霊と霊の結合を求めるのに、恋愛をおいて道があるものか! ……女も、そうまじめだとは思わないね。やっぱり遊んでいたんだよ。ぼくから見れば、いうことなすこと、みな思わせぶりだな。それが女だよ。女性の中の最も女性的なものだね」
夏目漱石は、明のことを「アンコンシャス・ヒポクリット」と評します。
彼女の場合、自我が強烈で、人格のはるか上にあって、自我というものが広大無辺なものに拡大されていて、それが森田を引きまわしてしまった。
漱石は、それを「Unconscious Hypocrite(無意識の偽善)」というのだと説明しています。
漱石の忠告によって、この心中未遂事件のあらましをもとにして、漱石の推薦で、翌年「煤煙」という小説を朝日新聞に連載し、これが森田草平の文壇デビューとなります。
漱石にも「三四郎」という作品があり、そこに登場する里見美禰子という女性のモデルとして、平塚らいてうが描かれています。
平塚らいてうと言う女性、理解するのが相当難しい女性みたいです。
夏目漱石も誰も出会ったことがない女性『新しい女』の誕生なのでしょう。