ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:あさが来た > 東柳 啓介


NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する東柳啓介(工藤阿須加)史実モデル一柳恵三。彼の父親、一柳末徳は明治17年に子爵となります。一柳家は「華族」の家柄であり特権階級なんです。







「華族」とは明治2年(1869年)に生まれた身分で、明治17年(1884年)に「華族令」によって制度化されています。昭和22年(1947年)に廃止されています。



奈良や平安の時代から天皇家を守ってきた「公家」、それに戦国時代に各地を統治してきた「大名家」(諸侯)などは明治維新、廃藩置県などにより従来の特権が大幅に奪われることになりました。



しかしまだ権力が不安定だった当時の明治政府は、これらの旧家を敵に回すと
厄介なことになると考えました。そこで、これら諸家に「華族」としての爵位を設け、いくつかの特権を与えたのです。









明治17年の「華族令」では、家柄などをもとに定められました。



爵位は上から、公候伯子男の5等級に分かれます。



公爵・・・親王諸王より臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者



侯爵・・・旧清華家、徳川旧三家、旧大藩(現高15万石以上)知事、旧琉球藩王、国家に勲功ある者 



伯爵・・・大納言まで宣任の例多き旧堂上、徳川旧三卿、旧中藩(現高5万石以上)知事、国家に勲功ある者 



子爵・・・維新前に家を起した旧堂上、旧小藩(現高5万石未満)知事、国家に勲功ある者 



男爵・・・維新後華族に列せられた者、国家に勲功ある者 



東柳啓介(工藤阿須加)史実モデル一柳恵三の父親は一柳末徳は元小野藩1万石の藩主でしたので子爵となっています。



華族の特権は教育にも及んでいました。華族の子弟は学習院に無試験で入学でき、高等科までの進学が保証されていました。



帝国大学( 東京大学 )に欠員があれば学習院高等科を卒業した生徒は無試験で入学できたのです。









「あさが来た」NHK連続ドラマ東柳啓介(工藤阿須加)史実モデル一柳恵三は華族の息子であり、無試験で帝国大学に入っていたのです。



現代は帝国大学( 東大 )を入学したと言われれば、厳しい受験競争に勝ち残ったと言うイメージがありますが、なんと当時は「華族」と言うだけで無試験で帝国大学( 東大 )に入れたのです。



なんとも羨ましい話です。



現代からすると、凄く不公平な社会だと思われますが、明治時代では身分制度が色濃く残って居り、教育も決して平等に受けられたわけではありませんでした。



東柳啓介(工藤阿須加)史実モデル一柳恵三は華族の一員であると言う特権階級の意識も強くあり、同時に軍人・官僚として、率先して国家に貢献したいと言う意識も持っていました。



華族の息子東柳啓介と豪商の娘千代二人の将来はどうなるのでしょうか。家柄も違い、考え方も違います。



豪商の娘と華族との結婚はそんなに簡単な話ではなかったと思われます。主人公あさはどんな行動にうつり、娘千代はどんな思いをするのでしょうか。



「あさが来た」NHK連続ドラマからますます目が離せなくなります。




『あさが来た』NHK連続ドラマに東柳啓介(工藤阿須加)が登場。東柳啓介は史実では一柳恵三である。


一柳恵三は一柳家、一柳末特子爵の次男である。









★一柳家を調べてみると、祖先は四国西条藩の藩祖であった。


西条藩(さいじょうはん)は、江戸時代に伊予国に存在した藩。藩庁は伊予国新居郡西条(現在の愛媛県西条市)の西条陣屋にあった。

西条藩                   

一柳家 
  初代 一柳直盛
  2代 一柳直重
  3代 一柳直興    

 
■藩祖

 一柳 直盛(ひとつやなぎ なおもり)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。


一柳直末の弟。晩年に伊予西条藩初代藩主となったが、領知に入る前に死去した。


河野氏の一族である一柳直高の次男として美濃国厚見郡に生まれる.


慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与する。


池田輝政・浅野幸長らとともに河田木曽川渡河の戦いや岐阜城攻め(岐阜城の戦い)に加わって功績を挙げたほか、大垣と佐和山の中間に位置する長松城の守備にあたった。


このため、戦後に1万5000石の加増を受け、伊勢神戸に5万石の所領を与えられた。


慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも功を挙げ、


寛永13年(1636年)6月1日、1万8000石余を加増の上、伊予国西条へ転封となる。


新たな封地である伊予は、父祖河野氏ゆかりの地であったが、直盛は任地に赴く途上の寛永13年(1636年)8月19日、病のために大坂にて没した。


遺領は一柳直重・直家・直頼3人の息子たちによって分割された。


長男の一柳直重が西条藩3万石を相続して2代藩主。


寛文5年(1665年)、3代目一柳直興は職務怠慢や失政などを理由として改易処分を受け、西条は一時公儀御料となった。


5年の空白を経て、寛文10年(1670年)紀伊国紀州藩初代藩主徳川頼宣の三男松平頼純が紀州藩の支藩として3万石で入封となり、松平治世となる。



一柳家の次男直家は播磨郡、加東郡、伊予宇摩郡、周布郡2万8600石を領し、小野藩初代藩主となった。


しかし直家の死後は末期養子が認められず1万石に減封され、幕末に至った。



歴代藩主は対馬守や土佐守などに叙任され、明治17年(1884年)一柳末徳が子爵となった。


一柳末徳の次男が一柳恵三である。


西条藩の藩祖の血を受け継いだ由緒ある家柄の一柳家。


小藩とは言え、世が世であればお殿さまの子供である。


流石に豪商として由緒ある加賀屋と言えども家柄が違った。


広岡浅子も娘のためとは言えかなり気がひけたのではないか。


『あさが来た』NHK連続ドラマでは主人公あさは大隈重信に二人の縁談を頼みに行く、果たして上手くいくのかほんと気がかりです。





『あさが来た』NHK連続ドラマ主人公あさの娘千代 ( 小芝風花 )の恋人として登場した東柳啓介 ( 工藤阿須加 )、すらっとした長身でイケメン、話す言葉も素敵です。







千代に白馬の王子様登場です。この見るからに優しそうでイケメンタイプなのですが、ただのイケメンではなかった。


帝国大学でのビジネスマンとして知識も判断能力もある優秀な人材でした。



史実では千代の広岡家に婿として入り、広岡浅子の事業を支えていきます。








広岡家の企業の中核となる大同生命の社長に1902年( 明治35年 )2代目社長として就任します。



広岡恵三は「加入者本位」の経営理念のもと、加入者(契約者)最優先の経営を行います。



同時に安定的な株主配当、従業員・代理店への利益分配などにも配慮しており、「あらゆるステークホルダーの利益を考える経営」が当時より実践されていました。



1912年 ( 明治45年 ) 8月



第10回定時総会議事録で広岡恵三は次のように述べています。



『別段準備金も最早相当の額に達しましたがゆえ、このさいを機として被保険者側にも慶福を領つことが至当であると考えます』



なんと会社が儲かって蓄えも出来たから被保険者へもお金を分配しょうと言うのです。



えっ、凄いですね。



そんな保険会社聞いたことがありません。



定時総会に出席した株主も喜んで受け入れたみたいだから、尚更凄い。



同族会社であり、経営者が大株主であるにもかかわらず、株主総会では会社の現状や方向を丁寧に時間をかけて説明し議論しています。




現代のCSRで「情報開示」と「説明責任」を徹底して行います。




大同生命の2代目社長の広岡恵三が、株主総会を経営者として説明責任を果たし、企業の実情・理念を共有する場と考えていました。



広岡恵三は現代の経営学と同様な知識をも身につけていたと思われます。



『あさが来た』NHK連続ドラマ主人公あさの娘千代の白馬の王子様は千代の人生においても、広岡浅子においても、まさに最高の出会いとなったようです。






『あさが来た』NHK連続ドラマは毎日、朝からイケメン達が総出演しています。新次郎に玉木宏、栄三郎に桐山照史、成澤泉に瀬戸康史、さらに東柳啓介に工藤阿須加。これでは女性達にとっては『イケメンパラダイス』。女性は毎日、朝から良い気分になるみたいです。









『あさが来た』新たなイケメン・工藤阿須加が初出演 「サワヤカ学ラン」ネットで話題





★明治時代でも男性はイケメンが世の中の話題になっていました。



明治43(1910)年に『毎日電報』紙上で、美男子コンテストが行われています。



ずいぶん昔からイケメンコンテストはあったんですね。






募集記事では


「正しい、強い、品位ある、膨張的大日本を代表するに足るべき堅固な意志と愛情の優味を映出した「立派な顔」を意味するので謂はば威徳並び備へた日本の代表的美男子」となっています。


ちょっとお堅い感じですね。


この企画には、1,000名を超える応募があり、かなりの反響がありました。


審査員には、黒田清輝や巌谷小波など各分野の著名人17名が名を連ねています。


「東洋人の美に対する理想」を示すために「当選の美男子を世界に発表せよ」


日露戦争に勝利した日本が海外に向け「日本にはこんな立派な男子がいる」と知らしめようとする試みでした。



当選発表は翌明治44年(1911年)の元旦に同紙の紙面上で行われました。








確かに今風のイケメンと言う感じではありません。


「写真術から見た「美男子」」では、健康を美男子の第一条件に挙げ、「綺麗な人形のような女性的美男子は真の美男子でない」、「俳優、芸人は殆どその資格が無い」と審査員は語っています。


なるほど、結構いかつい感じでの人もいます。


美男子コンテストで一位になったのは
加賀前田家の末裔、前田利彭(としちか)さんです。








なんだか真面目で誠実そうな感じです。



この後、モテ過ぎて騒がれたのか?理由は不明ですが前田家から追放されています。



明治時代のイケメンたちはどうですか?



えっ、そんなにイケてないって…。



時代によって、見方によって美男子の基準もかわるみたいです。





『あさが来た』NHK連続ドラマ毎日楽しみに観ています。あさの娘千代役、小芝風花と東柳啓介役、工藤阿須加の出会い。可愛い小芝風花さんとイケメンの工藤阿須加、ドラマはさらに面白くなりました。







あさの娘千代と東柳啓介の二人の出会いの場面で千代がりんごの皮を剥くシーン。


病院でりんごの皮を剥いている時、彼(工藤阿須加)は、千代を見て、「実にべっぴんさんだな」
りんごのことを言ったと笑っていました。








千代は病院であった東柳啓介が忘れられません。


千代の『初恋』です。


『りんご』は『初恋』?


『あさが来た』NHK連続ドラマの中では『りんご』一つで『初恋』を表現してしまいました。


(  脚本家の人うまい。)









島崎藤村  明治29年に次の詩を出しています。


初恋



まだあげ初そめし前髪まへがみの
林檎りんごのもとに見えしとき
前にさしたる花櫛はなぐしの
花ある君と思ひけり



やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅うすくれなゐの秋の実みに
人こひ初そめしはじめなり



わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃さかづきを
君が情なさけに酌くみしかな



林檎畑の樹この下に
おのづからなる細道ほそみちは
誰たが踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ



舟木一夫『初恋』





島崎藤村が自由恋愛を描きます。


明治時代は男女は20歳までに親の決めたままに結婚するのが一般的です。



男女の恋愛を描くことは革命でした。



あさの娘、千代が『りんご』の皮を剥いて、やさしく白き手をさしのべて、東柳啓介に『りんご』を渡します。



直接、好きだとか愛してるとか言わないし言えない。



なんだか、千代と一柳啓介の淡い思いが伝わってきていいですね。



明治時代は女性から好きですなんてとても言えません。








『あさが来た』NHK連続ドラマを見る限り、千代も東柳啓介も、二人とも相手のことが気になっているものと思われます。



さて、あさは千代の初恋を知りどうするのでしょうか。



『 Brige of Love 』恋の橋渡人にあさがなるのか?今後の『あさが来た』NHK連続ドラマがますます楽しみです。




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