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◇四国88箇所巡礼の旅にて


巡礼の旅ではお寺をまわってどういうことをするのでしょうか。遍路修行では、各札所のご本尊さま(本堂または金堂)とお大師さま(大師堂)に、お経を(読経、写経等で)奉納いたします。霊場会では下記の勤行次第を推奨しております。


( 1 )合掌礼拝(がっしょうらいはい)

胸の前で合掌し三礼しながら「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」と唱えます。

( 2 )開経偈(かいきょうのげ)

「開経偈」を一返唱えます。

( 3 )懺悔文(さんげのもん)

「懺悔文」を一返唱えます。

( 4 )三帰依文(さんきえもん)

「三帰(さんき)・三竟(さんきょう)」を三返づつ唱えます。

( 5 )十善戒(じゅうぜんかい)

「十善戒」を三返唱えます。

( 6 )発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん)

「発菩提心真言」を三返唱えます。

( 7 )三摩耶戒真言(さんまやかいしんごん)

「三摩耶戒真言」を三返唱えます。

( 8 )般若心経(はんにゃしんぎょう)

「般若心経」を一巻唱えます。

( 9 )光明真言(こうみょうしんごん)

「光明真言」を三返唱えます。

( 10 )ご宝号(ごほうごう)

お大師さまの「ご宝号」を三返唱えます。

( 11 )回向文(えこうもん)

「回向文」を一返唱えます。

( 12 )合掌礼拝(がっしょうらいはい)

「ありがとうございます」と述べ、合掌し礼拝をします。


ずいぶんといろいろと唱えなければいけないものです。しかも「般若心経」を一巻。そうなんです。巡礼の旅では般若心経を唱えるのが必須事項となっているのです。


よく聞く般若心経とはどんなものなんでしょうが。


◇般若心経とは


般若心経は日本でも広く知られているお経であり、聖徳太子が派遣した遣隋使である小野妹子が持ち帰ったものです。


そもそもが西遊記で知られている玄奘三蔵とその200年ほど前にいた鳩摩羅什がインドから中国へと伝えた膨大な経典の中から「大般若経」の中にある大事な教えの「空」について書かれている部分を抜き出して翻訳したものが般若心経ということになります。


その内容はお釈迦様の弟子である舎利子(シャーリプトラ)に対して観世音菩薩が説法をするもので、わずか262文字の中で「空」の教えを理解できるというありがたいものです。


言葉の意味を一つ一つ読み解いていくことが重要なのですが、唱えるだけでもご利益があるということで葬儀や法要などでよく唱えられています。


日本の仏教では多くの宗派がありますが、真言宗、天台宗、曹洞宗などが経典として重要な存在として位置づけています。ただ、その解釈については、それぞれの宗派で異なる点もあります。


◇般若心経   全文


仏説・摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。

舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。

舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。

是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。

無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経


◇般若心経       現代訳            琴参観光より


求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、これらの構成要素が、その本性おからいうと、実体のないものと見抜いたのであった。

この世においては、物質現象には実体がないののであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。

実体がないかといっても、それは物質的現象をはなれてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないことは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表彰も、意思も、知識も、すべて実体がないのである。

この世においては、すべての存在するものに実体がない特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、増すということもない。

それゆえに、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表彰もなく、意思もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、声もなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

(さとりもなければ)迷いもなく(さとりがなくなることもなければ)、迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得ることもない。それゆえに、得ると いうことがないから、諸々の求道者の知恵の完成に安じて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

住ける者よ、住ける者よ、彼岸に住ける者よ、彼岸に全く住ける者よ、さとりよ、幸いあれ。


◇般若心経    現代訳     インターネットより


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。


この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。

苦を楽に変える事だって出来る。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある

だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。


この世がどれだけいい加減か分ったか?

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?

何のアテにもなりゃしない。


揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。

それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。

でも、そんなもんその場に置いてけよ。


先の事は誰にも見えねぇ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。


菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。

愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。


勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、

それができりゃ涅槃はどこにだってある。


生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。


この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。


嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れてもぜ。

でも、これだけは覚えとけ。


気が向いたら呟いてみろ

心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?


『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』


『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』


心配すんな。大丈夫だ。


◇終わりに


どうですか?少しは有り難い般若心経の真髄がわかってきましたか。



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今回の歴史講座では四国88箇所巡礼の旅の面白い話しがいっぱい聞けますよ。みなさん是非ご参加ください。