NHK連続ドラマ「わろてんか」主人公てん(葵さん)は「わろてんか隊」の功績を認められ、勲章を受章する。


一方、伊能(高橋一生さん)の会社では、キース(大野拓朗さん)主演の映画を製作するが、検閲により公開直前に大幅な修正を要求される。


恋愛映画を下劣と見なす国の考え方に賛同できない伊能は……


<明日のわろてんか>312日 第134回 伊能の映画製作に検閲の壁 国の考えに賛同できず

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180310-00000033-mantan-ent


当時の日本の映画は軍部の圧力によってなかなか自由な映画作りができなくなっていました。


やがて国が映画を国の管理に置くために「映画法」と言う法律が作られました。


映画法


昭和14年「映画法」は,ナチス・ドイツの映画政策を 参考にして,内務省と文部省の共同で立案され,そして 厚生省も参加した形で,第74帝国議会に上程された。


木戸幸一内務大臣


「我国の映画に 対する政策を顧みるに法令に基づくものとしては内務省 における映画の検閲,文部省における映画の推薦,認定, 大蔵省における輸入映画の税関検閲等の程度を出でず, 又事実上の措置としても,各官庁が特殊の宣伝目的の為 映画を製作する程度に過ぎないのであって,之を欧米諸 外国における如くつとに映画国策を樹立し,映画法制を 整備し,自国映画産業の発展を企画して,外国映画の進出を防止し,或いは其の質的向上を図り,或は之が国家 的目的の為に映画を活用する等に努めて居る実情に比し, 遺憾ながら著しく消極的且不十分なるものであると謂わ なければならない」


と説明した。


「映画法」では


1 「本法ハ国民文化ノ進展ニ資 スル為映画ノ質的向上ヲ促シ映画事業ノ健全ナル発展ヲ 図ルコトヲ目的トス」


ようするに日中戦争下で戦時体制が強まった1939年、映画産業を国の管理下に置くため制定されたのが映画法でした。


フィルムは弾丸である。


昭和168 月,「フィルムは弾丸である。最早や民間に廻すフィルムは一尺もない」という大本営陸軍報道部長の谷萩那華雄 大佐の衝撃的な発言に映画界は騒然となる。


城戸四郎ら 映画各社の代表となる大日本映画協会の常務理事たちが 情報局に召喚され,そこでの川面隆三情報局第五部長か らの指令は,「映画用フィルムの原料は臨戦軍需品である が故に現状のままでは民需に応じ得なくなった。


映画界 も臨戦体制に切り替え,機構の整備再編成を必要とする。 


然らざれば製作は即日停止するのやむなきに至るだろう」 というものであった。


すでにニュース映画各社(毎日,朝日,読売,同盟) は,のちに日本映画社(略称日映)となる日本ニュース 映画社1社に統合されていたので,劇映画の各社も危機 感を持ち,緊急首脳会議を開き,映画統制会を設けて情 報局に対し折衝を重ねることになる。


情報局が示した「新体制」案は,劇映画を第一,第二 製作所に統合し,文化映画の第三製作所も加えた3社案 であった。


これに対し,当時新興キネマ京都撮影所長で あった永田雅一が対策委員長となり,軍部に対し再三働 き掛けを行う。


城戸四郎の「日本映画伝」によると,「松竹,東宝の二 つは純然たる民間映画会社だが,この際情報局の指令に 従って動く半官半民会社を持つべきだ それを大映にすべ きである)」という永田の野望である。


その結果,文化映画を除いた劇映画製作 3 社とするこ とに決定した。


これによって再編されたのが,第 1 製作所として,大 宝,南旺,東京発声,宝塚を東宝が統括し,第 2 製作所 は興亜を松竹に吸収,そして,第3製作所として 日活 新興キネマ,大都を統合して,新らしく大映(大日本映画 株式会社)が設立された。


これは新興キネマという小会 社が日活(日本活動写真株式会社)という老舗の大会社 を飲み込むことを意味しており,これには当然日活首脳 部は反発,配給関係を外し,スタッフや製作関係だけが 合併することになった。


情報局が軍需に必要なフィルムは民間に回せないとして映画の国家管理の声明を出し、これによって10社あった映画会社が3社となり、映画制作数もこれまで30本ほどあったものが、3社で6本に制限されます。


この月の宝塚歌劇雪組のレビューは、《大空の母》が公開されます。


新たに定められた920日の《航空の日》に定められた事と、軍の航空思想の普及に協力して演じられたもので、空を守る為出征する夫や子供を送り出す母を描いたもので、これ以外にも花組の【進め軍艦旗】、月組の【海の日本】など宝塚歌劇でも軍事色を多くなって行きます。


自由な映画はもう作れなかった。


NHK連続ドラマ「わろてんか」で伊能栞、モデル小林一三はもはや映画・演劇夢感動、喜びをもたらす数多くのエンタテインメント作品を届けることはできなくなっていました。


小林一三は「健全な娯楽を広く大衆に提供すること」は日本の社会ではもはや許されない状況になっていたのです。


NHK連続ドラマの「わろてんか」伊能栞が映画作りに苦悩するように、小林一三も大いに悩んだのに違いがありません。