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2018年02月12日

隼也とマーチン・ショウ。「ショウほど素敵な商売はない。」

NHK連続ドラマ「わろてんか」では北村隼也がアメリカで見て憧れていたのが「マーチン・ショウ」の企画だったのです。


伊能に、その企画に乗らないかといいますが冷静に伊能は数ある企画のうちの一つにすぎないと判断します。

 

しかし、隼也は「マーチン・ショウ」をあきらめきれずに伊能に内緒でこっそり会いに行きます。


そこで、出会った通訳の加納つばき(水上京香)と隼也は「マーチン・ショウ」の話で意気投合します。


これさドラマのワンシーンです。


史実モデルでは吉本興業は「マーチン・ショウ」ではなく「マーカス・ショウ」をアメリカより呼び入れて居ます。


実際に企画・実行したのは吉本せいの弟、林弘高でした。


マーカス・ショウ


吉本興業の社史によれば


1934年( 昭和9 )211 吉本せいが各所への寄付の功績などで、大阪府から表彰される。


3 アメリカよりボードビルショー『マーカス・ショウ』を招聘し、東京・日本劇場(日劇)で上演。


“ショウ”という言葉が一般に浸透する


となっています。


「マーカス・ショウ」とはアメリカで地方巡業をしていた20人程度の小さなタブロイドショーの団体でした。


日本に行くため、二流・三流の芸人をかき集めて、63人と団員を増やした。


「マーカス・ショウ」のマネージャーが日劇に話しを持ち込んだのが始まりです。


当然、「マーカス・ショウ」はニューヨークで待機していたので、どんなショウをするかは分かりません。


情報は「マーカス・ショウ」のパンフレットのみでしたから


この話しを聞きつけた吉本興業の東京支社長・林弘高は、留学経験こそ無いのだが、西洋の情報に明るく、パンフレットを見て「マーカス・ショウ」が日本で当たると考えました。


ショウは歌あり、踊りあり、タップダンスあり、そして銀粉のヌードショウありです。


吉本興業では安来節が多当たりした実績がありました。


日本人には大人気になると言う確信に近いものがありました。


しかし、「マーカス・ショウ」を呼ぶのには前金1万円が必要でした。


林弘高は林正之助に話しをかけます。


林正之助は吉本せいを説得し、吉本興業から1万円を出させ東京の林弘高にゴーサインを出した。


さて、東京の日本劇場(日劇)は、前年の昭和812月に開場した東洋最大の劇場で、4000人を収容できることから「東洋一の4000人劇場」と呼ばれていました。


当時の大劇場です。


しかも、日本劇場(日劇)で開催した「マーカス・ショー」は、入場料が3円・2円・150銭と高額です。


映画館の入場料が50銭だった時代です。


アメリカから呼んだ劇団ですが寄せ集めです。


しかも大劇場で高い。


これでお客様は入ったのでしょうか?


93日オープン当日、日劇の前には「マーカス・ショウ」見たさのお客様で日劇の周りは人で溢れかえってしまいました。


1ヶ月の予定を大幅に超えて45日間を公演したが、全て満員お入りでした。


この時のようすを寺田寅彦が書いています。


マーカス・ショーとレビュー式教育

寺田寅彦


アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。


日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道を埋めて車道まではみ出している。


これだけの人数が一人一人これから切符を買って這入るのでは、全部が入場するまでに一体どのくらい時間が掛かるかちょっと見当がつかない。


人ごとながら気になった。


後に待っている人のことなどはまるで考えないで、自分さえ切符を買ってしまえばそれでいいという紳士淑女達のことであるから、切符売子と色々押し問答をした上に、必ず大きな札を出しておつりを勘定させる、その上に押し合いへし合いお互いに運動を妨害するから、どうしても一人宛平均三十秒はかかるであろう。


それで、待っている人数がざっと五百人と見て全部が入場するまでには二百五十分、すなわち、四時間以上かかる。


これは大変である。


なんと日劇に入場するのに4時間以上かかったようです。


中でも注目を集めたのが、美人ダンサーのミス・ハッチャが全身に銀粉(銀色のドロ)を塗った「ブロンド・ビーナス」である。


当時は厳しい時代だったので、裸は禁止され、胸とヘソと腰は隠したのだが、全身に塗った銀粉(銀色のドロ)のおかげで、布で隠していることが分からず、全身のラインがハッキリと分かるので、男性を熱くさせて大いに好評を得た。


寺田寅彦は「金色の女」を次のように述べている。


呼び物の「金色の女」はなるほどどうしても血の通っている人間とは思われなくて、金属の彫像が動いているとしか思われない。


あんなものを全身に塗っては健康によくないであろうと思うとあまり好い気持はしなかった。


塗料が舞台の板に附くかと思って気をつけて二階から見ていたがそんな風には見えなかった。


吉本興業の「マーカス・ショウ」は大成功の興業だった。


吉本興業は前金1万円を出したが、日本劇場と「マーカス・ショウ」から、それぞれ55%ずつの手数料を取り、9万円という莫大な利益を上げました。


吉本興業にとっては「マーカス・ショウ」は大成功の興業でした。


こうして「マーカス・ショウ」は日本の演芸界に大きな影響と数々の遺産を残しており、「マーカス・ショウ」によって日本に「ショウ」という言葉が定着したのでした。


吉本興業いわく


ショウほど素敵な商売はない


There's No Business Like Show Business






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