『あさが来た』NHK連続ドラマ主人公のあさの娘千代にめたあかちゃんが生まれ、あさも新次郎もおじいちゃんおばあちゃんになってしまいました。
孫ってかわいいものですよね、あさも新次郎も孫にメロメロです。
あさと千代も母と子、あれだけ向き合って対立してたのに、いつの間にか仲の良い親子になってしまいました。
不思議なものです。
日の出女子大学( 日本女子大学 )にも新しい人物、平塚明( 平塚らいてう )女優大島優子が登場しました。
なにやらあさ( 広岡浅子 )を批判します。
平塚らいてうと広岡浅子は対立しそうです。
平塚らいてうの性格も千代と同じ母親や父親の反発から生まれたもののようです。
★平塚らいてうの育った環境
父、平塚定二郎は明治憲法の作成にも協力した会計監査院の官僚。
母のつやは夫の勧めで洋装で女学校に通学。
小学生の頃に引っ越した家には、シャンデリア、裸婦の絵画、洋書の棚、テーブルと椅子の生活でした。
1890(明治23)年に教育勅語が発布、日清戦争で世の中が変わりつつあった頃、平塚家の内情も様変わりする。
裸婦の絵画が教育勅語の額に変わる。
テーブルや椅子も片付けられ、洋装にしていた母は、裾を引く着物姿にかわっていった。
もちろん学校に行くことはなくなり、良妻賢母よろしく家事をする。
政府高官の父は、明治政府の命令に順応して、左右に両極端に突っ走る。
平塚らいてうはお嬢様として育てられながらも時代や社会に融合して生きる両親の生き方に反発します。
何故社会に融合して生きるのか?
平塚らいてうは自分の考え、自分の生き方を自分で決められない両親を批判します。
日本女子大学と言う日本の最高の女子教育を受けさせてもらいながらも、社会にも学校にも反発していきます。
女子大学をつくるから男子大学が女子の入学を許可しないのだと…。
明治時代は男性がつくりあげた男社会であれば全てに反発するのもいたしかたないことかも知れません。
広岡浅子や成瀬仁蔵から見ると平塚らいてうは子供らしい行為としか思えません。
社会に生きる以上、社会に融合して生きざるを得ない。
★平塚らいてうは夏目漱石の門下生森田草平と心中未遂事件を起こします。
塩原事件です。
「東京朝日新聞」は「紳士淑女の情死未遂」
「情夫は文学士・小説家、情婦は女子大卒業生」
「万朝報」は「いやはや呆れ返つた禅学令嬢といふべし」と嘲笑し
「蜜の如き恋学の研究中なりしこそあさましき限りなり」とからかった。
平塚らいてうは
「私がやったことは、曾てない大事業である。この経験は生涯私の所有である
「今回私のいたしましたことは何処迄も私の所有である。他人の所有を許さない」
と言います。
平塚らいてうは男性に従って心中未遂事件をおこしたのではない。
自分がやった行為なのだから自分で責任を取る。
自分の生き方は自分が決め責任を取る。
これが「新しい女」だと言うのです。
★平塚らいてうは「新しい女」を1913(大正2)年『青鞜』1月号紙面にて宣言します。
新しい女は「昨日」に生きない。
新しい女は最早しいたげられる旧い女の歩んだ道を黙々としてはた唯々として歩むに堪へない。
新しい女は男の利己心の為に無智にされ奴隷にされ、肉塊にされた旧い女の生活に満足しない。
新しい女は男の便益のために造られた
旧き道徳、法律を破壊しやうと願っている。
けれど旧い女の頭に盗り付いた憑いた色々の幽霊は執拗に新しい女を追ひかけてくる。
「今日」が空虚であるときそこに「昨日」が侵入してくる。
新しい女は日々に色々な幽霊と戦ってゐる。
油断の刹那「新しい女」も旧い女である。
自分は新しい女である太陽である。
唯一人である。
少なくともさうありたいと日々に願ひ
日々に努めている。
今では、女性は自分のことは自分で決めていますので、『新しい女』とは現在に於いては普通になってしまいました。
しかし、明治時代では女性は進学も結婚も親によって決められ、将来も自分で決めることは出来なかった。
また、結婚してもご主人に尽くす良妻賢母であらねばななかったのです。
この時代に自分のことは自分で決めて実行する。『自己システムの完結』を主張した平塚らいてうは社会の異端児と呼ばれてもいたしかたない存在でした。