「あさが来た」NHK連続ドラマの原点は1人の女性が人名辞典を見たことからスタートしています。


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高群逸枝が男性中心の歴史を問い直したいと書いた、昭和11(1936)年、日本で初めての女性の人名辞典「大日本女性人名辞書」です。


「大日本女性人名辞書」


★広岡浅子


實業家。三井高保の妹。嘉永二年京都油小路出水に生まれ、十七歳で大阪の加島屋廣岡久五郎に嫁いだ.。


維新変革に會し、家運傾かんとするや、自ら立って難局に當り、單身上京して先ず諸侯御用金の整理に著手功を収めたるを始めとして、店務を總轄、遂に商運を轉換し、實業家として大をなした。


鑛山の經榮に當った時など、時に坑夫等と起臥を共にし、常にピストルを携行したといふ。


夫の死去に際し一女かめ子の婿惠三を以って事業を繼がせ、六十歳、病を以って入院する時、身邊一切の整理を行ひ、晩年には基督教を信じ、大正八年一月十四日、七十一歳で、線の太い、精力的な障害を終った。


社會事業に盡(尽)すところもあり、日本女子大學創立の際し、成瀬仁藏を扶けてこれが最初の後援者となり、また愛國婦人會大阪支部をして事業的に獨立せしめた。


「大日本女性人名辞書」を見た古川千映子さんは、広岡浅子に関する14行の記述の中でも、とりわけ、このピストル携行について書かれたところを読んで、「この人の物語を書きたい!」という気持ちがわき上がったと言われています。   


鉱山の経営をしたとしても、坑夫と寝起きを共にして、ピストルを携行することはないでしょう。こんな凄い人がいたんですねー。


この女性に興味を持った古川智映子さんは、広岡浅子を主人公にした小説『小説 土佐堀川-女性実業家・広岡浅子の生涯』を書きます。(1988年、潮出版社)


古川智映子のインタビュー


古川智映子さんが炭鉱にピストルを持った女性に興味を持ち書いた小説『小説 土佐堀川-女性実業家・広岡浅子の生涯』がNHK連続ドラマ「あさが来た」の原作です。


高群逸枝が男性中心の歴史を問い直したいとの気持ちが古川智映子さんに伝わり、「大日本女性人名辞典」からすると79年後、女性達の気持ち執念のドラマがNHK連続ドラマ「あさが来た」なのです。


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古川智映子さんが興味を持ったピストルを持った女性ですが、ピストルは明治時代に女性用の護身用拳銃として売られていました。


江戸時代から明治時代は激動の時代です。毎日物騒な事件や出来ごとが起き、自分のことは自分で守るしかなかった。特に女性は男性よりも力がないわけですから武器を身につけるしか方法がなかったのです。


新聞にも明治末まではピストルの広告が堂々と載っていました。


「この物騒な世の中でもピストルがあれば安心していられます」「女性も簡単に使える」「生命財産を安全に守るために必要」などと購入を勧める。今では考えられないが、ピストルを持つのは女性として必要だと考えても当然だと思います。


◎護身用拳銃ハ‥‥‥財産ノ有無ト身分ノ高低ニ拘ワラズ何人モ買受能フモノナリ


◎護身用拳銃ハ‥‥‥出願許可ノ手続等ハ世人ノ思考スル如ク面倒ナル者ニ非ス


◎護身用拳銃ハ‥‥‥取扱簡単ナルヲ以テ老人婦女子モ容易ニ使用シ能フ


◎護身用拳銃ハ‥‥‥一人ニテ何挺ナリモ認可ヲ得テ携帯所有シ能フ


◎護身用拳銃ハ‥‥‥初心者モ十五六発試射ヲ為セバ容易ニ妙所ヲ悟リ得ヘシ


横浜市・金丸銃砲店「銃砲型録」明治三十一年



1910(明治43)年に公布された銃砲火薬類取締法で民間人の銃所持が原則として禁止されます。


明治時代には広岡浅子のようにピストルを携行していた女性もけっこういたのではないかと思われます。


ただし、鉱夫と寝起きを共にするような女性は広岡浅子さんだけかも知れません。