「あさが来た」妻妾論と日本の一夫一婦制度。「あさが来た」福沢諭吉は現代人のタイムスリップか?

2016年01月14日

「あさが来た」明治時代に自由奔放に生きた女性、広瀬常。

「あさが来た」NHK連続ドラマ、明治時代は女性にとってはどんな時代だったんでしょう。妾制度もあれば女性には参政権もない、決して明治は女性が生きやすい時代だったと思えません。






ただ、「あさが来た」の主人公あさや姉のはつ、女中のふゆやうめ女性が楽しく明るく描かれています。


実際にも明治の激動の時代の中にも、女性として奔放に自由に生きた女性はいたのです。


明治政府の森有礼の妻になった広瀬常も、まるで現代の女性のような生き方をしています。






★広瀬常


常は江戸の貧乏旗本の娘でした。彰義隊が官軍にやられたとき、上野の屋敷が襲われました。この時、13歳です。徳川の家臣は駿府(静岡)に逃げ、広瀬家も避難しました。母親は亡くなっていて幼い妹と父の3人家族、常が母親代わりでした。


 畑を借りてお茶の栽培に取り組みますが、人手が足りず苦しい生活が続きます。そんな時にただの開拓使女学校に応募して合格、一家は再び東京に戻りました。年齢制限を2つオーバーの18歳でしたが、ごまかしてもぐり込みました。


 最年長で背も高い美人だから目立ちます。開拓使のパーティーに駆り出されて、お酌をしたのが地質学者のライマン(39)でした。幌内の炭層を発見した人ですね。ライマンは一目ぼれして、開拓使に「妻にしたい」と申し入れましたが常が拒否。黒田長官が困って、外務省にいた森有礼(28)に相談。森も同じパーティーで常に好感を持っていたことが分かり、国益を損なわない窮余の策として結婚させたのです。もちろん、常は若くて男前だったので快諾しました。


 西洋かぶれの森は男女同権として誓い合う「契約結婚」をして、新聞をにぎわせました。


 それから10年、イギリス大使から戻って3人目の子ども「安」を産んだあとに、突然離婚しました。森は多くを語らず、周囲の女性は常の零落に好奇の目を向け「離婚は外国人との密通が原因」という根も葉もないうわさが流布されます。


広瀬常も、ほんと波乱万丈の人生です。なんだか、常も何かのドラマになってもおかしくはないのかも知れません。


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