ブログネタ
今話題のニュース に参加中!
「あさが来た」NHK連続ドラマの福沢諭吉先生は大のお酒好きである。福沢諭吉先生は日本酒よりもビールが大好きでビール党でした。







福沢諭吉の「西洋衣食住」と言う本に日本人にビールを飲むよう紹介しています。


「『ビール』と云ふ酒あり。これは麦酒にて、其味至って苦けれど、胸隔を開く為に妙なり。亦人々の性分により其苦き味を賞翫(しょうがん)して飲むものも多し。(ビールという酒がある。これは麦の酒でその味は至って苦いけれど、胸の内を開くのに妙なるものだ。またその苦い味を楽しんで飲む人も多い)」


ただ、ビールを飲むのにも明治時代は高価でした。そしてもう一つ欠点がありました。ビールのふたが開きにくいことでした。


日本にビールが入ったのは幕末のことですが、そのころの舶来ビールには、コルク栓が付けられていました。


今のワインと同じコルク栓なんです。


明治期もコルク栓のビールが一般的だったようですが、瓶に栓をするのに時間がかかった上に、開けるのも難しく、開けた瞬間に泡を吹いて座敷を濡らしてしまったり、客の着物を汚してしまったりしたことも多かったようです。


また、無理にコルク栓を抜こうとして、瓶の口が割れてしまい、大騒ぎになったといった記録もあります。


結構、ビールの栓を開けるのがたいへんだったみたいです。


ビールのふたが王冠になるのはかなり後のことになります。


現在のビールの王冠は1892年 ( 明治25年 )2月2日にアメリカの発明家ウィリアム・ペインター( イギリス生まれアメリカ人 ) により「BOTTLE-SEALING DEVICE」としてパテント登録されました。




ビールの王冠は名のとおり、蓋をひっくり返してギザギザしているところが、王様の王冠に似ているので、王冠と呼ばれています。英語でも瓶ビールの蓋は「Crown」王冠です。


ビールの王冠はすぐに普及しませんでした。日本の場合、製びん技術が未熟で、手吹き製の瓶が長く使われており、びんの大きさや形が不揃いなので、王冠は不向きだったからです。


日本における王冠栓の使用は、1900年 ( 明治33年 )東京麦酒が使用したのが最初とされ、同年の新聞広告に王冠栓を栓抜きで開ける広告を掲載しました。







「王冠コルクは抜くに困難なく、御婦人子供衆も容易く取扱ふことを得べし。王冠コルクは體裁美麗且つ高尚なるを以て御進物として尤も適當なり」


「英国倫敦に於て發明せられた専賣特許王冠コルクを使用せん」ともあります。


この広告は、当時、いかにコルク栓を抜くのに人々が苦心したかを反映しています。


ビールのふたが王冠になることによって誰でもどこででも簡単にビールが飲めるようになり、ビールは日本全国で飲まれるようになります。


ビールのふたにも、いろんな歴史があるんですね。






ちょっと、ビールの王冠をよく見て下さい。王冠にギザギザがついてますよね。


何か所ギザギザがありますか?


21か所です。


このギザギザが21か所よりも多くても少なくてもビールのふたがきちんと塞がらないそうです。


ほんと良く出来てるもんですね。