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新聞の休刊日。毎日、毎日読んでる朝の新聞、なければなんだか寂しいものです。






「あさが来た」NHK連続ドラマのあさが「加野炭坑」で「毎報新聞」を読むシーンがありました。


いったい、いつから毎日発刊され配達されるようになったのでしょうか。


この歴史も随分古くて、明治3年横浜で当時の神奈川県令井関盛艮 (愛媛県宇和島市出身 )の発案のもと日刊紙『横浜毎日新聞』を創刊したのが最初です。


その後、朝日新聞明治12年、毎日新聞明治5年(当時は東京日日新聞)、読売新聞明治7年、産経新聞昭和8年、日本経済新聞明治9年(当時は中外物価新報)創刊されます。






★横浜毎日新聞


これがわが国初の日刊紙です。


どんな記事が書いてあるかと言うと、やはり貿易関係の情報をが主体でした。それと内外のニュースを加えたものが記事の内容です。


横浜に出入港する船舶の紹介や貿易取引状況は細部にわたっては連日掲載してありました。


新橋・横浜間の鉄道敷設工事が六郷の鉄橋(鉄道の橋という意味で実際は木橋)までいたるといった記事


火事や一揆(畑税増反対、雑税廃止要求など)のニュース


サギ師まがいの外国商人が横行し被害にあったとか、サムライ風の男が床屋でザンギリ髪を切り揃えようとしてトラ刈りにされてしまった話


毎日、毎日いろんな記事が出てますけど、結構作るとなるとたいへんだったでしょうね。


新聞の発行は広告費用で賄おうとしたため広告宣伝の記事も多かったみたいです。


西洋仕立ての服装一式販売、普仏戦争従軍記の邦訳出版、輸入水販売、写真館開業のお知らせ等。


横浜市中区の馬車道には現在、「日刊新聞発祥の地」の石碑が立っています。





★「日刊新聞発祥の地」の石碑


明治三年十二月八日 我が国日刊新聞が鼻祖「横浜毎日新聞」はこの地で誕生した
この新聞はまた冊子型木版刷りの旧型から 活字一枚刷りの現代型へと踏切った
我が国最初の新聞であった
これが端緒となって 日本が大新聞国へと発展したことを思うと文明開化の窓口としての
横浜の意義はきわめて大きい
こうした偉業を記念すると同時に その計画者 時の神奈川県令井関盛艮
社長島田豊寛  編集担当者子安峻 印刷担当者陽其二 資金協力者原喜三郎
茂木惣兵衛 吉田幸兵衛  増田嘉兵衛 高瀬英祐等諸氏の功績を後世に伝えるため
この記念碑を建立する


毎日読んでいる新聞にも創刊時にはいろんな苦労があっただろうし、また毎日、毎日継続するのも、たいへんなことだったんだなと思います。


いろんな方々のご尽力があって、こうして毎日新聞を読むことが出来ることは幸せで贅沢なこと、日刊新聞を作ってもらった方々、毎日の新聞を発刊し配達している方々に心から感謝しなければならないですね。