2017年12月16日

ブスにならないための宝塚歌劇団「ブス25箇条」の教え。

NHK連続ドラマ「わろてんか」登場人物の高橋一生演じる伊能栞のモデルは小林一三と言われています。




小林一三は阪急グループの創設者であるとともに宝塚歌劇団の創設者としても良く知られています。


宝塚歌劇団のモットーは皆さんご存知の「清く正しく美しく」です。

 

これは創設者小林一三氏が歌やダンス演劇はもちろん礼儀やマナーをわきまえ、ひとりの女性として社会人としての品格を失わないようにと贈った言葉だそうです。


「清く正しく美しく」か?


ほんと良い言葉を教えてますね。


「ブス25箇条」の教え

 

しかしこの教えとは別にもうひとつ裏の教えがありそれがこの「ブス25箇条」

 

これは歌劇団のある場所に貼られていたそうですが、いつ誰が貼ったのか未だに謎で真相は語られていません。

 

伝説の教えと言われているその「ブス25箇条」とは?


  1. 笑顔がない
  2. 御礼を言わない
  3. おいしいと言わない
  4. 目が輝いていない
  5. 精気がない
  6. いつも口がへの字のかたちをしている
  7. 自信がない
  8. 希望がない
  9. 自分がブスであることを知らない
  10. 声が小さくいじけている
  11. 自分がもっとも正しいと信じ込んでいる
  12. ぐちをこぼす
  13. 人をうらむ
  14. 責任転嫁がうまい
  15. いつも周囲が悪いと思っている
  16. 他人に嫉妬する
  17. 他人につくさない
  18. 他人を信じない
  19. 謙虚さがなく傲慢である
  20. 人のアドバイスや忠告を受け入れない
  21. なんでもないことに傷つく
  22. 悲観的にものごとを考える
  23. 問題意識を持てない
  24. 存在じたいが周囲を暗くする
  25. 人生において仕事において意欲がない


この25箇条が貼りだされたとき誰もが立ち止まって見入っていたと言います。


確かにこの中に当てはまることがひとつでもあればブスだと言うのです。


誰もがブスにはなりたくないと思うわけですから「ブス25箇条」の教えは強烈でした。


宝塚ジェンヌはこの教えを見て、こうなってはいけないといつも思うのでした。


小林一三は容姿の美しさよりも心の美しさを宝塚ジェンヌに求めたようです。


もし、いくつか心当たりがある方はこれをきっかけに注意してみてはいかがでしょう? 


「気付く」ことができたら変化への第一歩。「意識する」ことができたら、その瞬間からあなたは成長してるのだと思います。


小林一三が教えたかった心の美しさ


宝塚歌劇団では今でも小林一三の教えは守られています。


電車の席はお客様の為の物、着席してはいけないとの教えより宝塚歌劇団員は誰も電車の中では誰もが立っています。


電車を降車する時は、ピカピカマルーン色電車にお辞儀をして、宝塚駅のホームを去り、花道を歩き、歌劇へと向かいます。


そんな、現代では失われた日本の美しい光景が見られます。


「清く正しく美しく」小林一三は容姿だけでなく心の美しさを誰よりも伝えたかったのだと思います。





keijidaz at 04:07|PermalinkComments(0)わろてんか | 伊能栞

2017年12月15日

「たまプラーザ」の街は伊能栞モデル小林一三の夢みた理想の街だった。

駅を降りると、冷たい空気が頬にあたります。




ここは、たまプラーザ駅です。


私の好きな街。


駅前はもう、クリスマスの装い。




イルミネーションが綺麗です。


田園都市線のたまプラーザ。


洗練された街並み、凄く素敵な街です。


この街にこんな歴史があったなんて街を歩く人も多くの人も知らないでしょう。


たまプラーザの歴史


イギリスの社会学者エベネザー・ハワードが著書「明日の田園都市」(THE GARDEN CITY)において提唱した「田園都市論」。  


日本では阪急電鉄創始者の小林一三がいち早く着目し私鉄経営の中で活かすという発想をし、開発を進めたと言われています。 


その後「田園都市株式会社」が設立され、小林一三も経営に参画。 


「梶ヶ谷」~「中央林間」の間、約20Km広大な範囲に"真に豊かな 人間中心の街づくり"という理念のもと開発が行われました。


なかでも現在の「たまプラーザ」駅北口に広がる「元石川地区」は、「美しが丘」邸宅街として、1963年より開発が始まり、東急多摩田園都市のモデルタウンとなりました。


小林一三が見た夢がかたちとなり、大きな発展を遂げてきました。


まだ約50年前の話でした。


たまプラーザの街はNHK連続ドラマ「わろてんか」高橋一生さんる伊能栞モデル小林一三が夢みて作った理想の街だったのです。


いい街だなと思います。


「俺が作ったんだよ」


と伊能栞の嬉しそうな微笑みが浮かんで見えるようです。






多摩田園都市開発 簡略年表


1953

「城西南地区開発趣意書」発表

1954

土地区画整理事業に着手

1966

溝の口~長津田駅間開通

たまプラーザ駅開通

1968

長津田~つくし野駅間開通

1972

つくし野~すずかけ台駅間開通

1976

すずかけ台~つきみ野駅間開通

1984

つきみ野~中央林間駅間開通

1993

横浜市営地下鉄

あざみ野~新横浜駅間開通

2000

「南町田」駅前に

グランベリーモール開業

2003

東急多摩田園都市が

開発50周年を迎える

2005

たまプラーザ駅周辺開発計画に着手

2010

たまプラーザテラス全館開業




keijidaz at 05:16|PermalinkComments(0)わろてんか | 伊能栞

2017年12月14日

NHK連続ドラマ「わろてんか」伊能栞と言う男あまりに偉大過ぎます。

NHK連続ドラマ「わろてんか」登場している高橋一生演じる伊能栞は壮大な構想を発表します。




伊能栞( 高橋一生 )はドラマでもハンサムないい役ですね。


しかも、次から次へといろんなアイデアが生まれます。


伊能栞は大阪の郊外に、映画館などの娯楽施設を建設しその周辺を大規模な宅地として開発する壮大なアイデアを思い描くようになります。


伊能栞って凄い人物ですね。


NHK連続ドラマ「わろてんか」伊能栞の実際のモデルが阪急グループの創設者小林一三なんです。


小林一三の描いたビジネスモデル


日本で生活してわかることが、あります。


それは鉄道沿線上に住宅が立ち並んでいることです。


そんなん、あたり前やないか?


鉄道沿線は便利やから、住宅が立ち並ぶやないかと返答される方もおられるかも知れませんが、これは決して偶然こうなったわけではありません。


小林一三と言う一人の人間が考えたビジネスモデルを日本の多くの財界人が取り入れて、そのビジネスモデルを展開していったのです。


小林一三ビジネスモデル


  1. まず鉄道を開発
  2. その沿線の土地を安く買う
  3. 沿線の始発や各駅、終着駅に商業施設を開発して利便性を向上させる
  4. 沿線の土地を分譲し、家を売る


電鉄といえば、私鉄沿線の田園都市計画や住宅開発、郊外のレジャーランド建設、駅に直結するターミナルデパートは、みな東京発祥だとお考えではないでしょうか?


実は、これらは全て小林一三が構想を描き、日本では、阪急沿線で初めて着手された事業なんです。


ターミナルデパート業態に至っては、世界初でした。


阪急の事業は乗客を誘致するのではなく、創り出すという発想から始まったのです。


鉄道開発


そんな周りの考えを覆すアイデアを思いついたのは、一三が池田と梅田の間の予定線を実際に歩いたとき。


牧歌的な風景を見ながら、「こんな良いところに、どうして大阪の人間は住みたがらないのか?」と、当時、人口増加が著しかった大阪市内の狭い住居の暮らしと比べ合わせ、「郊外に住宅地を新たに作り、その居住者を市内へ電車で運ぶ」という、その後の私鉄経営の基礎となる考えに至ったのです。


さらに、出資者に事業を売り込むために、事業展開を説明するパンフレット「最も有望なる電車」を作ったのは、文学青年の一三らしいアイデアで、当時としては珍しかったそうです。


沿線の宅地開発


鉄道の建設と同時に進められた沿線の宅地開発。


しかし、明治時代の頃はサラリーマンなどが住宅を購入するための住宅ローンの制度が無く、小林一三も銀行員時代は社宅や借家住まいでした。


そんな、持ち家が資産家など一部の層に限られていた時代に、「頭金として売値の2割、残りを 10年間月賦で払い込むと住宅の所有権を移転させる」という、土地・住宅を担保とした現在の住宅ローンの走りとも言える住宅販売方法を提案して、サラリーマン層などの多くの人たちが、マイホームを持って豊かに暮らす機会を作り上げたのでした。


また、新しい住宅地に用意する家屋にもこだわり、土地の豊かな郊外らしく、長屋ではなく100坪もの広い区画の一戸建て。


さらに郊外では石油ランプでの生活も珍しくなかった時代に電灯の設備も用意し、場所・家屋ともに豊かな暮らしを提案したのでした。


この方法は見事に功を奏し、初回の池田室町住宅は売り出してほどなく完売。続いて、桜井・豊中などにも理想の沿線住宅地を増やし、鉄道の利用者も増やしていったのでした。


商業施設の開発


宝塚歌劇は今や日本のみならず海外にもファンの多いエンタテインメントとなり、2014年(平成 26年)には100周年も迎えました。


何世代にもわたって愛される宝塚歌劇の誕生のきっかけは、意外にも他の事業の失敗からでした。


一三は、行楽客による鉄道の利用者増を狙って、宝塚に「宝塚新温泉」というレジャー施設を開設します。


その中に屋内プールを開設したのですが、「屋内プールの水は温水にしないといけないことを知らなかった」「時代的に男女一緒には入れない・見学できない」という要因が重なり、事業としてはすぐに失敗となってしまいます。


無用の長物となってしまったプールを眺めながら、思いついた次の一手は「芝居小屋」としての再利用。


プールの浴槽と見物席を客席に、脱衣所のあった場所を舞台に仕立て上げたのです。


さらに、舞台でお客様を引き付ける最適な出し物を考え、世間で話題になっていた少年音楽隊にヒントを得て、「少女だともっと可愛い公演になるのでは?」とひらめいた瞬間が、宝塚歌劇の誕生の瞬間だったのかもしれません。


それでも1914年(大正 3年)4月の初演時には、「宝塚少女歌劇」の舞台公演のみでは集客力は弱いと考えていた一三でしたが、初日の様子が新聞で好意的に紹介され、世間に広く知られることになり、初演は毎日"大入満員"という好調なスタートを切ったのでした。

その後も一三や制作・指導に携わる人たち、そして少女たちの熱い思いで興行は成長。


「この楽しい演劇を一人でも多くの人に観てもらいたい」と思った一三は、宝塚に4, 000人を収容する(旧)宝塚大劇場を完成させ、さらに東京、海外へと進出していくのでした。


ターミナル駅の開発


神戸本線が開業し、大きなターミナル駅となった梅田駅。毎日12 13万人のお客様が利用するその場所に百貨店を開業してはどうか?という構想を小林一三は抱き始めました。


当時の百貨店と言えば、呉服屋発祥のものが多く、またその場所も駅から離れた場所にあり、車による無料送迎サービスなどでお客様を迎え入れていました。


それなら「駅に百貨店があれば、送迎の必要もなく、もっと気軽に使ってもらえるのでは?」と考えた一三ですが、駅直結の百貨店も、鉄道会社が百貨店を運営することも、日本はおろか世界に前例が無く、さらには、一三自身に百貨店経営の経験がありませんでした。


そこで、東京で百貨店を経営し、関西への進出を進めていた「白木屋」との思惑・タイミングが合致したことから、当時の梅田駅ビルの1階を貸して、日用品や雑貨の販売をしてもらい、需要動向を観察すると共に、経営形態の実地を学ぶことにしました。


「白木屋」の出店は成功を収め、契約満了の機会に合わせ、いよいよ阪急直営の百貨店「阪急マーケット」として展開するのですが、そこで一三が目指したのは「よい品を安く売る」。


しかし、何でもかんでも薄利多売をしたのでは、周辺の小売店の経営へ大きな影響が出てしまうことも考慮し、百貨店が価格面で競争する場合は「自分の手で、自分の工夫で、自分の設備で製造した商品に限るべき」という方針を持って百貨店経営を進めていったのでした。


その後、1929年(昭和 4年)に地上8階・地下 2階という巨大な(旧)梅田阪急ビルを建設。「阪急百貨店」の名を冠し、現代の歴史へと繋がっていったのでした。


■ NHK連続ドラマ伊能栞と言う男


どうでしたか?


NHK連続ドラマ伊能栞と言う男、いやそのモデルになっている人物、小林一三がいかに凄い人物だったかわかっていただけましたか。


この人物なくしては現代の日本の社会もなかったと言っても過言でないかも知れませんね。



keijidaz at 08:24|PermalinkComments(0)わろてんか | 伊能栞

2017年12月13日

寄席は飲食自由だ‼︎ 寄席と助六寿司。

NHK連続ドラマ「わろてんか」を楽しみに観ています。




ところで「わろてんか」である舞台の寄席、みなさんは行ったことがありますか?


寄席って日本では昔から庶民の憩いの場所で、舞台の落語や漫才を見ながら気楽にお酒を飲んだりお弁当を食べたり自由な場所なんですよ。


寄席は飲食自由だ‼︎


鈴本演芸場のホームページはつぎのような文句がトップページに掲げられています。


お弁当食べてもいいんです 


お菓子を食べてもいいんです 


ビールを飲んでもいいんです 


そして腹の底から大笑い 


鈴本ってこんな寄席です。


寄席は客席で食事を取ってもかまわないことになっているようです。


寄席の売店


寄席の売店では助六寿司とビールも売っていました。


ビールを飲みながらお寿司を食べ舞台を楽しむ最高ですね。


寄席の売店には助六寿司とビール




おっ‼︎


助六寿司か大好物です。


でなんか寄席のことより助六寿司の方が気になってきました。


稲荷寿司と太巻がセットになったお寿司のことを助六寿司といいます。


なぜ助六寿司と言うんだろう?


助六という名前は歌舞伎の世界から来ています。


歌舞伎の人気演目に「助六由縁江戸桜」

( すけろくゆえんのえどざくらと読みます )

があります。


この演目の主人公の名前が助六というのですが、この助六には愛人がいて、彼女の名前が「揚巻」という名前の花魁(おいらん)でした。


彼女の名前の「揚」から油揚げを使った稲荷寿司、「巻」から巻き寿司と洒落て、稲荷寿司と巻き寿司を組み合わせたものを助六と呼ぶようになったそうです。


また、助六寿司は元々この演目で幕間に出された弁当だそうで、その中身はもちろん「揚巻」という名前に由来した稲荷寿司と巻寿司だったそうです。


助六と揚巻は切っても切れない関係のようです。


助六由縁江戸桜


曾我五郎、十郎という兄弟が、親の仇の工藤祐経を討つために源氏の宝刀「友切丸」を探していました。


それぞれ侠客と白酒売りに身をやつして江戸の吉原を探索します。


この時、曽我五郎は「花川戸の助六」として吉原に潜入します。


そこで助六の愛人だったのが遊女の「三浦屋の揚巻」という人。


そして、この揚巻に横恋慕する意休という者がいるのですが、この意休が持っている刀がそれらしいと知って、助六はわざと喧嘩を仕掛けます。


意休は助六が曾我五郎である事を知っていて、ひそかに友切丸を抜いてみせ、源氏を裏切って平家につくよう促します。


しかし、助六はそれに応じず、意休を倒して刀を手に入れるというお話です。


ものにはいろいろと由来と歴史があるんです。


日本っていいですよね。


寄席を見ながら自由に生きる。


落語や漫才を観てビールを飲んで助六寿司食べて気分は満足です。


寄席って最高‼︎



keijidaz at 06:28|PermalinkComments(0)わろてんか | 寄席

2017年12月12日

事件です‼︎ 「桂春団治もの、いふせんべい」で大失敗の巻。

NHK連続ドラマ「わろてんか」出演中の月の井団吾、モデルは桂春団治です。




桂春団治にはいろいろなエピソードが山のようにありますが、中でも特に面白いエピソードに「もの、いふせんべい」事件がありました。


「もの、いふせんべい」事件ってな~に


大正時代、子供用に作られた童謡を収録した「せんべいレコード」がプチブームになった時期がありました。


神戸では「桃太郎」「金太郎」「花咲爺」など童謡を入れたせんべいレコードもあったといわれます。


当時の爆笑王・春団治は


「落語を収録したせんべい出したらウケるとちゃうか?」


「せんべいレコード」に目をつけます。


春団治は「聴き飽きたら食べる」というコンセプトのもと史上初の「落語せんべい」を作りました。

「萬國特許 かつら 春團治 もの、いふ せんべい」というタイトル。


桂春団治( 1878 年~1934年)の落語を収録していました。






写真は「もの、いふせんべい」の缶ですが、中にはお菓子の「せんべい」で作られたレコードが入っていました。


桂春団治の考案により、実用新案をとって大阪にあった日東レコードが発売。


8枚入り1 150銭、 10枚入り1 195銭で、専用の竹針 2本がついていました。


当時の1円は2、3千円、1銭も約18円でしょうか?


1缶で3、4千円のお値段かと思います。


せんべいの材料も玉子の代わりに水飴を多く入れていたので色は黒かったといわれています。


何度か聴いて溝が減ったり、割れたりすれば菓子として食べられます。


1926 ( 大正15 )に天理教大祭の人出の多さを当て込んで売り出されたが、値段の高さや、あいにくの雨で煎餅の多くが湿気ったことなどで殆ど売れませんでした。


大儲けをあてこんだ桂春団治。


ああ、見事に売れなくて在庫の山です。


春団治は大損してしまいました。


「もの、いふせんべい」は大失敗に終わったのでした。


■  20167 月、Yahoo!オークションにて「幻の逸品」として大正時代に発売されたとあるレコードが出品されました。


【噂は本当!】大正時代「せんべい」で作られた伝説のレコードがヤフオク出品

http://mnsatlas.com/?p=11849


出品されたレコードは残念ながら盤自体はなくなっていますが、缶は当時のままの状態で残っており、これだけでも十分に非常に価値があるものと言えます。


オークションは終了しており35万円の高値で取引がなされました。


ほんとに昔の人もいろんなことを考えますね。


「もの、いふせんべい」は実際はどんなせんべいだったんでしょうか?


レコードプレーヤーにかけたら、どんな音がしたんでしょうか?


なんだか興味深々の話でしたね。