2019年05月29日

熱中症対策アドバイザー養成講座に行ってきました。

◇令和と熱中症


天皇即位。平成から令和。多くの人が皇居へ一般参賀のお祝いの列で121人が熱中症による脱水症状などを訴え、担架や車いすで運ばれて救護所で手当てを受けたとNHKニュースが報じていました。

また、昨年の猛暑の中、高齢者が熱中症で11人の方がお亡くなりになりました。

最近、特に怖く感じる熱中症。なんで熱中症の人がこんなに増えてるの?熱中症になったらどうすればいいの?

で、夏が始まる前にさっそく熱中症対策アドバイザー養成講座に行ってきました。



IMG_2680



https://blue-s-official.com/archives/2145


◇熱中症ってな〜に


身体の中では産熱と放熱のバランスがとれています。産熱とは身体が熱を作る働きで、放熱は身体の外に熱を逃がす働きをいいます。このバランスが崩れたとき、熱中症が起こります。

「熱中症」とは暑い環境で生じる健康障害の総称で、次のように分類されています。

(1)熱失神

皮膚血管の拡張によって血圧が低下し、脳への血流が悪くなることにより起こります。

(2)熱けいれん

大量に汗をかき、水だけを補給して血液の塩分(ナトリウム)濃度が低下した時に、足、腕、腹部の筋肉に痛みを伴ったけいれんが起こります。

(3)熱疲労

大量に汗をかき、水分の補給が追いつかないと、身体が脱水状態になり熱疲労の症状がみられます。

(4)熱射病

体温の上昇のため中枢機能に異常をきたした状態です。意識障害(応答が鈍い、言動がおかしい、意識がない)がみられたり、ショック状態になる場合もあります。

なるほど、こうやって聞くとわかりやすいですね。身体の中の熱がどんどん溜まっていっていろんな症状が起きるみたいです。特に熱中症になって死に至ることにまでなるなんて、とても恐ろしことです。


◇熱中症の対応


熱中症が疑われる時には、適切に応急処置をする必要がありますが「意識がない、もしくは意識がはっきりしていない」場合はすぐに救急車を要請しましょう。また、救急車が到着するまでの間に現場での応急処置も必要となります。

とにかく初期の判断が大事みたいです。意識があるかないかはペットボトルの水を自分で開けれて飲めるかどうかで見極めれば良いそうです。

次に涼しい場所へ移動、身体を冷却すること。とにかく熱中症になったら身体を冷やすことこれが重要なのだそうです。



IMG_2679



◇熱中症対策アドバイザー養成講座


10時から1225分まで2時間を超える長い講座でしたが、講師の方の優しく丁寧な話しで非常にわかりやすく理解しやすい講座でした。また、休憩時間にも参加の方々から次々と質問が飛び出して、熱中症に間するいろんな話しが聞けて非常に役立つ講座だったと思います。

ラストにテスト。テストはあまり好きではありませんが、講義の内容の整理と長期記憶に残すにはテストが一番だそうです。

講座を聞いて理解したつもりでもテストをしてみると思い違いや思い込みも結構ありました。

最後に熱中症対策アドバイザー養成講座を開催していただいたBLUES事務局、大塚製薬のスタッフの方々に素敵な講座を開催していただき心から感謝いたします。




keijidaz at 07:35|PermalinkComments(0)横浜 | 神奈川

2019年05月28日

「たまプラーザ」駅名の由来

◇たまプラーザの街


渋谷から二子玉川、溝の口を経て多摩田園都市と呼ばれる東急グループが開発したニュータウンが延々と点在する区間を抜けて終点の中央林間までの間を結ぶ「東急田園都市線」。


特にたまプラーザはアッパーミドルな世帯が住む街として、TBSのテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」の舞台となっていました。


金曜日の妻たちが放送されてから36年の月日が経過してもたまプラーザは素敵な街並みを魅せています。


IMG_2677





◇「たまプラーザ」の駅名はどうして名付けられたのか?


田園都市線のあざみ野とか青葉台と言う駅名はよくありそうな駅名ですが、たまプラーザという駅名はちょっと変わった名前だと思います。


ひらがなとカタカナ。


誰が名付けたんでしょうか?


何故、このような名前になったんでしょうか?


どうも不思議です。


なぜこの名前になったのか。


調べてみると、東急電鉄「開発の記録」にでていました。


発案は当時の五島昇社長。


計画段階では「元石川」が仮の駅名だったそうです。


それを五島社長が「元石川」より「たまプラーザ」に変えるよう指示したそうです。


たまは多摩をひらがなで読んだもの。


プラザはスペイン語で広場、駅前広場を中心とした街づくりを目指す同社の基本思想が投影されました。


五島社長は多摩田園都市の中心に、との意図があったようです。


元石川駅だと普通ですが、たまプラーザだとなんだか素敵なイメージが湧きますよね。


◇田園都市線の駅名


東急田園都市線の沿線の駅名は地名を参考にしつつ、地元住民の意見を集めながら決められました。


例えば青葉台や藤が丘は「名前に緑を残したい」という地元の要望を取り入れた。


藤が丘は富士山に見立てた富士塚があることにちなんだ。


たまプラーザ駅周辺にある美しが丘は、この辺りが美しい丘陵地帯だったことが由来だ。ちなみに、たまプラーザという地名はなく、駅名だけで使われています。


◇終わりに


仮名の元石川駅の名前だと現在のように発展していたか、はなはだ疑問です。


やはり、名前って重要ですね。


たまプラーザ駅だけは五島昇社長の思いが込められた駅。


名前の由来の通り田園都市線の中心の駅として、ますます発展していくのではないでしょうか。



keijidaz at 05:53|PermalinkComments(0)神奈川 | 横浜

2019年05月25日

四国88箇所巡礼の旅と般若心経



IMG_2668




◇四国88箇所巡礼の旅にて


巡礼の旅ではお寺をまわってどういうことをするのでしょうか。遍路修行では、各札所のご本尊さま(本堂または金堂)とお大師さま(大師堂)に、お経を(読経、写経等で)奉納いたします。霊場会では下記の勤行次第を推奨しております。


( 1 )合掌礼拝(がっしょうらいはい)

胸の前で合掌し三礼しながら「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」と唱えます。

( 2 )開経偈(かいきょうのげ)

「開経偈」を一返唱えます。

( 3 )懺悔文(さんげのもん)

「懺悔文」を一返唱えます。

( 4 )三帰依文(さんきえもん)

「三帰(さんき)・三竟(さんきょう)」を三返づつ唱えます。

( 5 )十善戒(じゅうぜんかい)

「十善戒」を三返唱えます。

( 6 )発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん)

「発菩提心真言」を三返唱えます。

( 7 )三摩耶戒真言(さんまやかいしんごん)

「三摩耶戒真言」を三返唱えます。

( 8 )般若心経(はんにゃしんぎょう)

「般若心経」を一巻唱えます。

( 9 )光明真言(こうみょうしんごん)

「光明真言」を三返唱えます。

( 10 )ご宝号(ごほうごう)

お大師さまの「ご宝号」を三返唱えます。

( 11 )回向文(えこうもん)

「回向文」を一返唱えます。

( 12 )合掌礼拝(がっしょうらいはい)

「ありがとうございます」と述べ、合掌し礼拝をします。


ずいぶんといろいろと唱えなければいけないものです。しかも「般若心経」を一巻。そうなんです。巡礼の旅では般若心経を唱えるのが必須事項となっているのです。


よく聞く般若心経とはどんなものなんでしょうが。


◇般若心経とは


般若心経は日本でも広く知られているお経であり、聖徳太子が派遣した遣隋使である小野妹子が持ち帰ったものです。


そもそもが西遊記で知られている玄奘三蔵とその200年ほど前にいた鳩摩羅什がインドから中国へと伝えた膨大な経典の中から「大般若経」の中にある大事な教えの「空」について書かれている部分を抜き出して翻訳したものが般若心経ということになります。


その内容はお釈迦様の弟子である舎利子(シャーリプトラ)に対して観世音菩薩が説法をするもので、わずか262文字の中で「空」の教えを理解できるというありがたいものです。


言葉の意味を一つ一つ読み解いていくことが重要なのですが、唱えるだけでもご利益があるということで葬儀や法要などでよく唱えられています。


日本の仏教では多くの宗派がありますが、真言宗、天台宗、曹洞宗などが経典として重要な存在として位置づけています。ただ、その解釈については、それぞれの宗派で異なる点もあります。


◇般若心経   全文


仏説・摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。

舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。

舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。

是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。

無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経


◇般若心経       現代訳            琴参観光より


求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、これらの構成要素が、その本性おからいうと、実体のないものと見抜いたのであった。

この世においては、物質現象には実体がないののであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。

実体がないかといっても、それは物質的現象をはなれてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないことは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表彰も、意思も、知識も、すべて実体がないのである。

この世においては、すべての存在するものに実体がない特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、増すということもない。

それゆえに、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表彰もなく、意思もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、声もなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

(さとりもなければ)迷いもなく(さとりがなくなることもなければ)、迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得ることもない。それゆえに、得ると いうことがないから、諸々の求道者の知恵の完成に安じて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

住ける者よ、住ける者よ、彼岸に住ける者よ、彼岸に全く住ける者よ、さとりよ、幸いあれ。


◇般若心経    現代訳     インターネットより


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。


この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。

苦を楽に変える事だって出来る。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある

だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。


この世がどれだけいい加減か分ったか?

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?

何のアテにもなりゃしない。


揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。

それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。

でも、そんなもんその場に置いてけよ。


先の事は誰にも見えねぇ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。


菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。

愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。


勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、

それができりゃ涅槃はどこにだってある。


生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。


この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。


嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れてもぜ。

でも、これだけは覚えとけ。


気が向いたら呟いてみろ

心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?


『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』


『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』


心配すんな。大丈夫だ。


◇終わりに


どうですか?少しは有り難い般若心経の真髄がわかってきましたか。



FullSizeRender




今回の歴史講座では四国88箇所巡礼の旅の面白い話しがいっぱい聞けますよ。みなさん是非ご参加ください。





keijidaz at 05:04|PermalinkComments(0)四国 | 宇和島

2019年04月22日

5月より新元号令和のスタートです。

◇5月より新元号令和のスタートです。



IMG_2527



4月もそろそろ終わりに近づいてきました。


平成も終わり新しい元号、令和(れいわ)のスタートです。


さて、どんな時代になるのか?ちょっと不安で楽しみでもありますね。


元号が変わるだけで、他になにか変わるわけではないのに、なんですかねこのワクワク感は、不思議な感じです。


少し元号について調べてみました。


◇元号の使用は現在では日本のみ


日本では和暦として西暦とともに大切にされてきた元号、ベトナムや中国などでも使われたことはあったようですが現在に至るまで元号を使い続けているのは世界中で日本のみとなっています。


日本書紀によると元号が使われ始めたのは645年の「大化」が始まりのようです。


◇日本の元号っていくつあった?


最初の元号と言われる「大化」から2017年の今日に至るまでの「平成」にはいくつ元号があったかご存知ですか?


応仁や享保など、社会科でとにかくたくさん習った記憶があります。


30?50?100以上?


答えはなんと「令和」を含め248個あるそうです。


凄い数ですね。


ただ、南北朝時代において南朝年号・北朝年号を加算した場合の総数なので、南朝を基準とした場合は232個が総数とされています。


元号の変わる基準が現在とは異なり天変地異や戦、占いなどで元号を変えるきっかけを得ていたために数年、または数ヶ月で元号が変わっていることでここまでの数となっています。


◇明治からの元号の由来


● 明治の由来


五経の一つである易経より「聖人南面して天下を聴き、『明』に嚮ひて『治』む」という言葉からきています。


「聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる」という意味が込められています。


● 大正の由来


大正も明治と同じく易経より「『大』亨は以って『正』天の道なり」という言葉が由来となっています。


「天が民の言葉を嘉納し、政が正しく行われる」というものです。


● 昭和の由来


昭和も五経の一つである書経から「百姓『昭』明・協『和』万邦」という言葉が由来となっています。


込められた意味は国民の平和と世界の共存・繁栄を願うものとなっています


● 平成の由来


史記からの「内『平』かに外『成』る」と書経からの「地『平』かに天『成』る」という言葉それぞれから平成と付けられました。


「内外、天地ともに平和が達成される」との意味で、元号が重ねられるたびに平和を尊いものとする意味が強まっているように感じられます。


● 令和の由来


万葉集の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」から名付けられました。


「令和」には人々が美しく心寄せ合う中で文化は花開くという意味が込められているようです。


令和なんだか、いい響きですね。


由来や込められた意味を汲み取って大切に時を過ごしていきたいですね。



keijidaz at 02:57|PermalinkComments(0)話題 | 歴史

2019年04月09日

早渕川と桜と水争い

◇早渕川と桜

散歩で早渕川を歩いている。

桜が満開。

川べりを歩くとのんびりと幸せな気分になります。

春の爽やかな風がほほにあたり気持ち良い。

ランニング姿の人ですれ違う。

みんな健康のためにウォーキングやジョギングをする人が多い。

とても穏やかな早渕川の春です。

◇石川村と荏田村の水争い

早渕川は30万年前多摩丘陵の成立とともに浸食、湧き水によってできた川で昔は蛇行し川底が岩盤であるため流れが早かったそうです。

石川村と隣の荏田村は水争いで頻繁に争っていました。

当時、八つの集落があります。

保木ほうぎ・・・・美しが丘西

荏子田えこだ・・・荏子田1~3丁目

平川ひらかわ・・・元石川町から美しが丘3丁目あたり

船頭せんどう・・・あざみ野4丁目あたり

稗田原ひえだはら・美しが丘5丁目北部

牛込うしごめ・・・美しが丘5丁目南部から新石川2丁目・

中村なかむら・・・あざみ野駅周辺から新石川2丁目

下谷しもやと・・・新石川1丁目あたり

あるとき荏田村の民が築地の土手といわれる堤防を築き石川村を水没させました。

保木は帆をあげ舟を出した。

平川は一帯が水で平になった。

船頭は舟で地区を渡した。

牛込は食物に困った人々に牛に米を積んで売り歩いた。

ほんと酷いとをするものです。

今では水で争うなんて考えられませんが、当時の農民にとってはかかせないものだっようです。




keijidaz at 08:17|PermalinkComments(0)横浜 | 神奈川